百花洲のプロ

長谷川が『精神現象学』(ヘーゲル、作品社)では「ともあれ、本ができあがった上は、(担当編集者の高木さんと・:引用者注)たがいの労をねぎらって晴れ晴れと祝杯をあげたく思う」と書いているが、これなんかもまだ許されていい。
呉智英は「最後に、本書文庫化を実現していただいた朝日新聞社と編集部の方に、厚くお礼を申し上げたい。
これは、儀礼的な社交辞令ではない。
心から言っているのである」(『読書家の新技術』朝日文庫)と書いているが、この「心から」というのが哀しくも清々しい。
しかしほんとうをいえば、これも右の「あとがき日付」一言と同様、読者にはなんの関係もないものである。
著者じしん、あるいは著者と編集担当者だけに関係する内輪の話でしかない。
読者にとっては、ふーん、という感想以外に感想のもちようがなく、ようするにどうでもいいことであろう。
ところが中には、ナーニいちゃついているんだこのバカは、といいたくなるようないやらしいものが断然あるのである。
「読者は知らないだろうが、ぼくたちこんなに仰のいい仲間だもんね」という臭気ぷんぷんものがあるのだ。
これはたまらない。
本を読んでいて、いつの頃からか、このこともまた鼻につくようになってきた。
となれば、まずはわたし自身のものからはじめるべきであろう。
最初の本『中島みゆき・あらかじめ喪われた愛』から。
「わかしに自慢できるものはなにもない。
しかし本書がほかならぬ小川氏の導きによって世に送りだされるということは、わたしのひそかな誇りとしていいことである。
小川さん、ほんとうにありがとうございました」。
うん。
可愛いな、これは。
まさか自分の書く文章が本になることなど夢にも思わなかったのに、それが現実となったとあって、気負いと上気が見られる。
読者にとってはどうでもいいことだが、しかし当時もいまも、わたしのこの心情には偽りがない。
大目に見てください、というところで、真打ちたちに登場していただこう。
佐高信は『鵜の目鷹の目佐高の目』の中で、「神崎さんと浅野さんにシンボリックに感謝しながら、この『あとがき』を結びたい」とわけのわからないことを書いている。
なんなのだ、この「シンボリックに感謝しながら」というのは。
さぞかし「神崎さんと浅野さん」は面食らったことであろう。
佐高はひとに感謝するときまでバカである。
石原里紗『くたばれ専業主婦』の「あとがき」には、「友人たち」という言葉が頻出する。
いかにその「友人たち」から白分か大切にされているか。
その「友人たち」が石原を擁護してくれる心情には「嬉しくて、心強くて、涙がでました」。
そして「締め切り直前の土用の丑の日には、私の大好物の鰻を差し入れてくれた、ぶんか社の佃君」とある。
佃君、大変だったね。
渡部昇一とデリー伊藤の対談本『日本人の敵』(PHP研究所)。
この「対談を終えて」で渡部は、「デリーさんには、むしろ私という人間を、どのようなテレビ番組に使ったらいいのか、発見していただきたい」などとずうずうしいことを臆面もなく書いている。
世間知らずにもほどがある。
そのすこしまえには「私は、デリーさんの生き方を肯定する」などと、自分が傲慢なことを書いていることの自覚もないのである。
田中康夫『神戸震災日記』。
ここにもバカがひとりいますよ。
「単行本あとがき」の最後のくだりに、「風化させない為にも、言いたいことは一杯あります。
これからも神戸を回り続ける中で、言いたいことは更に一杯生まれてくるでしょう。
神戸は田中康夫で、田中康夫は控戸であると感じている僕なのですから」とある。
この最後の一行がバカの面目躍如である。
本文を読めばこの意味するところがわからぬではないのだが、それでもなお、このひとり相撲、ひとり見栄がバカである。
大塚英志の「出版社には別に感謝しません」(『木島日記』角川書店)とはどういうことか。
もしそうなら黙っていればいいものを、わざわざ書くことの意味がわからない。
わたしが好きなのは岸田秀『ものぐさ精神分析』の、当時『現代思想』編集者であった三浦雅士にあてだ献辞である。
「彼がいなければこの本はできなかった。
感謝感激雨あられ」。
なかなかいい。
と、「あとがき」日付バカによって調子づいたわたしは、ついでに数多くの「献辞バカ」を、「仲良し派」とか「舞い上がり派」「快然派」「恬淡派」「身の程知らず派」「バッカじゃねえか派」などなどに分類して笑ってやろうと目論でいたのだが、「あとがき日付」の調査で消耗して、志半ばにしてここに中断のやむなきをえた。
悪愧に耐えないが、モノを書く人間にはこういうバカたちもまた多数存在するということだけを示唆してこの章を終えることにする。
「序説」とした所以である(この誇大表現も許されたし)。
かくして、バカはここでも細部にやどっている。
十にこういうバカなら文句はない高橋春男編『素人バカ自慢』は世間の素人バカに関する投稿を集めた本である。
深刻なバ力や重苦しいバカばかりにつきあっていると、ここに収録されているバカたちがいかに心の安らぐ清涼バカたちであるかがわかる。
わたしたちの生活において、水や空気とまではいかないが、音楽や映画とおなじように、なくてはならない必須の存在だ。
わたしの好きなものを五つ紹介してみる(カッコのなかは高橋のコメントである。
つまらないコメントはカットした)。
長年、神津カンナは男だと言い張っていた夫は、ついに女だと認めた日、ひと言、「不223欄」だと言った。
(同感です)ウチの父親は、「子どものころ、中野で飼っていた猫は自殺した」と、還暦を過ぎてもなお言い張っている。
(だからいいんじゃないかな。
自殺したってこと言(私と)同じクラスの友人は(自動車教習所)の学科教習の時間に、教官が「車の衝突時における破壊力は車の速度の二乗に比例する」と教えたのに対し、「運動于不ルギーが全て破壊力に変換されるならその表現は正しいが、現実は空気抵抗や路面との摩擦によってエネルギー保存の法は成立しないので、その表現は不適切であると言わざるをえません」とくってかかった専門バカです。
ある日、中学生だった僕は初めて行った床屋で「中学生ですか?」と聞かれたので、なるほどそういう髪型があるのかと思い、「それはどういうものですか?」と答えたら、なぜか床屋のおやじは黙ってしまった。
今はもう亡くなっている明治生まれの祖父のことです。
私の友達からかかってきた「○子さん。
いますか?」の電話に、「○子は、二階におる」と言い、ガチャンと切ってしまいました。
(おじいさんは正しい。
これぞ。
明治のバカ″です)ついでにわたしの好きな話をひとつ。
役者の小倉久寛(知らないひとはスミマセン)が小学校六年のときに床屋に行ったら、そこのオヤジが「ダンナ、今日は仕事休みですか」といった、という実話である(小倉がバカというのではない。
いい話だ)。
世の中には意図し演じるバカが山ほどいるが、こういう素朴な巧まざるバカがわかしは大好きである(天然バカはだめ。
イライラしてく言。
じつに羨ましい。
こんなバカばっかりだったら世の中は平和で楽しいのに、そうはいかないのが人間社会のツネである。
とりあえず、このような初歩的愛すべきバカの存在を寿いでおこう。


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